[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
載せる時期を逃したもの、その2。
載せる時期を逃したもの。
利根軌道
1911年4月15日~1925年3月6日
JR上越線開通前に渋川町(現渋川市)から沼田町(現沼田市)を結んでいた電気軌道。もともと馬車軌道として運行していたが1918年に完線電化。国鉄上越南線の渋川~沼田駅開通と共に廃止される。
自分より後に出来た路線を可愛がっており、特に路線の一部を併用している吾妻軌道や路線延長工事の資材運送を行った上越南線には実の弟のような感情を抱いている。
吾妻軌道
1912年7月22日~1934年9月30日
かつて渋川町から中之条町を結んでいた電気軌道。1934年、バスに取って代わられる形で廃止される。今運行しているJR吾妻線の渋川~中之条駅間はほぼこのルートに並行している。
喧嘩っ早く、自分が思っている事をすぐに口に出してしまう性格。国鉄上越南線が沼田駅まで完成すると親友の利根軌道が廃止されてしまうため国鉄や上越南線に強い反発心を抱く。
国鉄
上越南線
1921年7月1日~
高崎から水上駅までの運行を担う。1931年に清水トンネルが開通し、新潟から東京方面に向かって延長していた上越北線を編入。以後上越線として高崎から長岡駅まで運行。戦時中には大陸への物資運輸最重要ルートであったなど、国の幹線として重要な役割を担う立場の路線だった。上越新幹線が出来てからは首都圏と新潟との都市間輸送を新幹線に譲り、新潟、秋田方面への貨物輸送と県内のローカル輸送に徹している。
年若いためか無意識に他の人が傷付く発言をしてしまう事が多い。自分に対して遠慮もなく物を言う吾妻軌道に好意を抱いている。また、全財産を投げうってまで上越線を開通させようとした岡村貢を盲目的に尊敬しており、自分が存在するかぎり岡村貢の業績も歴史に残るのだと固く信じている。
高崎線
1883年7年28日~
大宮駅で東北本線から分岐し、群馬県の高崎までを結ぶ路線。高崎駅ではさらに北へ向かう上越線と、かつて信州に繋がっていた信越本線が接続する。日本初の私鉄である日本鉄道の第1期線として1883年に上野~熊谷間で仮営業を開始したのが始まりであり、1884年には高崎・前橋まで延長され全通した。高崎まで開通した同年6月25日には明治天皇臨席のもと上野駅で開通式が行われ、この際に明治天皇は上野~高崎間を往復乗車した。
個性の強い高崎支社の面子をまとめる立場にあるため、相当の苦労人。路線であれば国鉄であれ私鉄であれ平等に接する。上尾事件は今でもトラウマ。
信越本線
1885年10月15日~
高崎駅から碓氷峠を経由し新潟駅までを結んでいた路線。碓氷峠を越すためのアプト式やスイッチバックなど見所の多い路線であったが、長野新幹線の開業により高崎駅~横川駅までと篠ノ井駅~新潟駅二つの区間に分割された形態となった。
日本で最初に急行列車が走り電化された路線のためプライドが高く、他の路線は自分より格下だと思っている。そのため自分の立場を脅かす上越を毛嫌いしている。