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目黒と池上。記念日。

載せる時期を逃したもの、その2。

 「いくら事故とはいえ必要以上の遅延は乗客に迷惑がかかる。これからはより一層身を引き締め、乗客の安全を第一に考えて定時通りの運行をとの総帥のお言葉であった。皆も心するように。それでは解散」
東横のその言葉を合図に、路線一人一人が思い思いに部屋へと帰って行く。
 各路線の職務終了後、今日の度重なる遅延を重く見た総帥によって路線全員が呼び出されての緊急会議が開かれていた。被害が出た東横、目黒、田園都市はさすがに神妙な面持ちで会議に参加していたが、全く関係のない池上や世田谷、多摩川は早く会議が終わり、部屋に帰って寝る事だけを考えていた。
 資料をまとめ、部屋へと向かおうとする池上を目黒が呼び止める。
「これからの予定は?」
「とくにありません」
「そうか、では付き合って欲しい所があるのだが」
「分かりました」
まさか目黒相手にこれから部屋に帰ってさっさと寝たいですとは口が裂けても言えない。すれ違いざま「おやすみ」と自分達ににこやかに挨拶し部屋へと戻る世田谷の後ろ姿が池上にとっては少しだけ恨めしかった。

 半ば強制的に目黒に連れて来られた所は蒲田駅近くの地下にあるバーだった。目黒はカウンターに座ると慣れた風に注文をする。
「オールドパーをロックで。君は?」
「私も同じ物をお願いします」
やがて氷と琥珀色の液体が入った二つのグラスが目の前に置かれる。乾杯と共に一口含んだ後の口の中に残る味わい。抜ける香り。それは普段度数や値段の高い酒を呑み慣れない池上にとっても口当たりの良い酒だった。目黒はさも当たり前の様にグラスに口を付けている。隣の男は目蒲時代からウイスキーを愛飲していた。ただしあの頃飲んでいたのはトリスやブラックニッカといった安酒だったと池上は記憶している。
「ここにはよく来るんですか?」
「たまにね。蒲田駅を使わなくなってからはだいぶ縁遠くなってしまったが」
ちびちびと舐める様に酒を飲んでいる池上を余所に、目黒はさっさとグラスを空けおかわりを頼んでいた。しばらくして、新しく出された酒に目黒は口を付ける。目黒と2人だという緊張のあまり酒の進まない池上は気を紛らわせるために目の前の棚に置かれている数多くのウイスキーの瓶を眺めていた。
 「他にも口に合う酒はあるが、この酒は特別なんだよ。なんて言ったって過去の政治家が愛飲した酒だからね」
まるで独りごとのように目黒は呟く。それは池上も聞いた事があった。独特な形の瓶の傾けても倒れない姿が窮地に立たされても倒れない政治家の姿をイメージさせるのだと。そう自分に教えたのは誰だったか。いくら考えても思い出せない。極度の緊張とアルコール度数の高い酒のせいで池上は間違いなく酔いはじめていた。壁一面の瓶に書かれている字が池上には歪んで見える。

 「なぜ今日私を誘ったんですか?」
不意に池上が呟いた言葉に目黒は池上の目を見る。
「たまには一人で飲みたくない時もあるだろう」
そしてそのままグラスへと視線を移す。
「なぜ私を?」
「むしろ、私が聞きたい。なぜこの酒を飲むのかを君は覚えていないのか」
目黒の鋭い言葉をきっかけに池上はある記憶を思い出した。

 それはまだ目の前の男が目蒲線と言われていた頃の事。時代が下がるにつれ徐々に扱いも冷遇され、池上同様古い車両で走らなければならないというプライドの高い目蒲にとって苦渋に満ちた日々が続いていた。それでも年に一度、大事そうに棚から出してくるその酒。
『今日だけだよこの酒を飲めるのは。今は落ちぶれたこの私が目黒蒲田電鉄創始の路線だと心から感じられる日だ』
そう言いながら目蒲は氷を入れた二つのグラスにオールドパーを注ぎ入れる。たった2人、まるで秘め事の様に年に一度繰り返された出来事。

 「目蒲さ…、いえ目黒さん、お誕生日おめでとうございます」
「今頃思い出したのか」
「すみません」
目黒が池上へと向けたその顔は不思議と怒っていなかった。

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