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1918年2月。
改築されたばかり、まだ木の匂いが感じられる高崎駅。
今日の運行を終えて駅へと戻った高崎線は、まだ誰か残っていないかと休憩室へ足を向ける。休憩室の扉を開けると、そこには同じく運行を終えたばかりの信越本線の姿があった。
「お疲れ」
「お疲れさん」
高崎の言葉に信越は反応を返す。
「茶?酒?信越が好きな方選んで」
「茶と昨日両毛から貰った饅頭が食いたい」
「分かった」
高崎は休憩室に置いてある戸棚を開けて急須と自分たちの湯呑を取り出し、湯呑に緑茶を淹れる。戸棚の上に仕舞っておいた饅頭は皿に盛りつけ、信越の座っている目の前に湯呑と共に並べた。本来なら後輩である信越が用意するのが筋なのだが、気位の高い信越が他人のために何かする姿は誰も想像が出来ないし、高崎も信越と2人でいる時は自分で用意するのが当たり前だと思っていた。
「そういえば『上越線』開通の計画が正式に決定したそうだ」
饅頭をぱくつき緑茶を啜りながら信越は高崎に話しかける。
「へぇ、何度も中止になってるあの路線がとうとう開通するんかい」
高崎も熱い緑茶を啜りながら答える。
今ある群馬から長野経由で新潟へと出るルートではなく、三国山脈をトンネルで打ち抜き首都圏から新潟へと結ぶ鉄道路線の計画は過去何度も持ち上がっていたが、その度に政府に申請を却下され開通まで至っていなかった。
「魔の山と呼ばれる谷川岳にトンネルを掘るって話だが、本当に開通すると思うか?」
「国も実現出来ん事をやろうとは言わねぇだろ」
「新潟行きは俺がいるっつうのに、わざわざ危険を冒してまでこれから新しい路線を造ってどうする」
「北毛地域への運送、それと時間短縮のためだろうな」
「国も御苦労なこった」
信越は可笑しそうに笑う。
信越は知らなかったが、信越が上越線のことを話題に上げる前に高崎は鉄道院から直接上越線計画の内容を告げられていた。群馬から新潟、新潟から群馬と2つの方面から路線を造り始めること。谷川岳にトンネルを掘りそこには蒸気機関車ではなく電気機関車を走らせるということ。そして、上越線が全開通したさいには高崎線と直通運転をし『上越本線』とする計画が出ているということ。本線に憧れる高崎にとっては願ってもない計画であったが、高崎線を自分の一部だと思っている信越にとっては面白くない話であろう。
日本で最初に急行列車が走り電化された路線。官設鉄道最初の計画のまま事が進んでいたら、東海道本線ではなく中山道を結ぶ信越本線が日本の東西を結ぶ最重要ルートになっていたという自惚れ。それらの出来事が信越のプライドを形作っていた。身近にいる高崎にはそれが嫌なほど分かるため、あえて鉄道院から話があったという事実は伝えないままでいた。
信越が部屋へと戻った後、高崎は流し台で湯呑と皿を洗い戸棚に置く。戸棚には先程自分達が使っていた湯呑を含め4つの湯呑が並んでいる。最初1つしかなかった湯呑も、国鉄私鉄、高崎駅を使う新しい路線が増える度に1つ、また1つと数を増やしていた。その光景を見ながら、
『新しい路線のために湯呑を用意せんと』
と、高崎はずっと考えていた。
1921年7月1日。
真新しい制服を着て丹念に磨かれた靴を履いた新しい路線が、国鉄に連れられ高崎駅に来ていた。
「初めまして、今日から運行します上越線です。まだ工事の途中ですので上越南線と呼んで下さい」
新しい路線は、国鉄の先輩達が揃っている目の前で深々とお辞儀をする。
「こちらこそ、これから宜しく。それと、これから使ってくれや」
そう言って高崎が上越に手渡したのは一つの箱。中には藍色の湯呑が収められていた。
「ありがとうございます」
湯呑を見て心から嬉しそうに笑う上越の顔を見て、高崎は嬉しそうに笑い返した。